ハンドピックを考える
珈琲のハンドピックは必要か否か・・・・非常にムズカシイ問題です。
商売として考えるとハンドピックは時間がかかるし、人件費もばかになりません。
だいたいハンドピックをすることによって200gあたり300円もはねあがります。
つまり、安く売るためにはハンドピックをなくす方向に向かわなければならないと思います。
(品質の高い生豆を仕入れることによりハンドピックを不要と宣言するなど・・・・)
この方向でがんばって商売するのを悪いとはとてもいえないのです。
ただし、ぼくはハンドピックを続けていくつもりです。
なぜか・・・・・
どれだけ高級な生豆でも農産物なんです。
生産国で悪い豆を排除したといっても、生産国は大量の豆を処理していますから
絶対にカンペキとはならないのです。
(ある程度欠点豆がはいるのはしょうがない)
だから、自分の使う生豆ぐらいは自分の責任で使いたいのです。
例えばジュースをつくるとして、どれだけおいしいという評判のみかんがあってもその中に
腐ったりかびたりしたみかんがはいっていたとしたら味が台無しになるのと同じなんです。
それと、もう1つの理由は、日本という国の特殊性にあります。
日本は、四季というものがあります。
そして、じめじめした梅雨があり暑い夏があります。
(この環境によって日本は発酵技術では世界有数になるわけですが・・・・・)
たとえば、どんなに欠点のない豆として日本にはいってきた珈琲であっても
生豆の表面にはカビなどの胞子はついています。
(これは、あたりまえなんです・・・無菌なんてありえないですから)
問題となるのは、その豆が梅雨や暑い夏を過ごしたときに
カビなどが発生する可能性を否定はできないことです。
そして、そのカビたちは運が悪いと
OTA(オクラトキシンA・・カビ毒の一種)という毒素をだします。
(まぁいわゆる発ガン性物質でして・・・・)
とりあえず、焙煎などにより50%以上は
破壊されるらしいのですがあとは商品の中にはいっていくのです。
ぼくは、自分の扱っている商品を自分の責任で売りたいのです。
お客さんに対して自分が安全と認めた状態で売りたいのです。
ハンドピックをしなければ見過ごすような変化をハンドピックをすることにより
確認したいのです。
それと、豆の品質が落ちてきたときに急にハンドピックはできません。
それ用のスペースとそれ用のシステムが必要となるし、楽を覚えたら
とても苦労はできないものなのです。
自分の納得したものを売っていく・・・・職人にあこがれたぼくの珈琲屋としての姿なのです。
(だから、だめなんでしょうかねぇ・・・・・)