Flavor coffee
12月のおきらく日記
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今週のフレーバー
(水) 二度の奇跡・・・
(木) あきらめる・・・
(金) 父の死・・・
(土) いろいろラッキーな父
(日) お通夜・・・・
(月) お葬式・・・・
(火)
12月26日(水)--二度の奇跡・・・
奇跡を信じますか・・・
ぼくは、奇跡を信じます。
そして、その奇跡というのは信じることから生まれます。
父の危篤状態は、三度ありました。
その三度とも子供や孫がすべてそろうことができたのです。
(ちなみに、三度目が死を意味しますが・・・)
二度の危篤状態では、ぼくはめいっぱい気を送って父を元気にしようとしました。
とくに、ぼくが病室についたときにはまだ孫全員がそろっていませんでしたし・・・・
なんとしてでも、全員そろうまでは父を死なせたくなかったのです。
そして、ぼくが気を送ると必ず息を吹き返したのです・・・
(信じるかどうかは別にして・・・・)
そんな状態でしたから、ぼくは焙煎をめいっぱいやっておいて、いつ病院に呼ばれても女の子たちだけで お店がまわるようにしていました。
(ちなみに、「S」さんにだけはうちの店のかぎを渡しておきました・・・)
12月27日(木)--あきらめる・・・
26日の夜中というか27日の明け方に電話がありました。
だいたい3時ぐらいでした。
はっきりいって、父はめちゃめちゃ弱っていました。
毎度のことながら、父に気を送って少しでも元気にさせようとしました。
そして、父は子や孫全員が集まるまで何とか意識ももどしみんなが集まったことが理解できたようでした。
ただし・・・・
苦しそうな父をみていて、母や兄弟に気を送るのをやめようか・・・・といいました。
みんな、もういいよ・・・
ゆっくりと死なせてあげようよ・・・
みんな、死に目にもあえたことだし・・・・
(この段階では、父は死んでいませんけどね・・・)
ぼくも、母も誰もが父にもうがんばるのはやめてくれーーーと思っていました。
(ゆっくりと死なせてあげたいと思っていました。)
12月28日(金)--父の死・・・
12月28日14時39分・・・・父は死にました。
最後の二時間ぐらいはちょっとだけ苦しそうでしたが、「がん」のわりには苦しまずにすんだほうだと思います。
(本当のところはわかりませんがとりあえずあまり苦しそうではなかった・・・・たぶん)
それにしても、父は幸せものだと思います。
孫たちが、毎日のように病院にきていて、みんなが父を応援していたし・・・
それと、三ヶ月といわれた命が一年半ぐらいに延びたことによって、旅行に行ったり好きなものを食べにいったりと 苦労した分を取り戻すように遊びにいけたし・・・・
(唯一の問題は、ぼくというだめな息子がいたことでしょうか・・・)
ぼくは、とりあえず病院から店に戻って配達を済ませることにしました。
とうぜん店の女の子やとりまき連中にあまり心配をかけたくなかったし、お客さんに迷惑をかけたくなかったのです。
(特にコーヒーを買いにきてくれた人に迷惑をかけたくなかった・・・けっこう遠くから買いに来る人がおおいもんで・・・)
とりあえず、父は約2週間ぶりに家にもどってきました。
そして、ばたばたとしながら夜中になって店にコーヒーを焙煎にでかけ明け方、 家に戻ってくるという芸当を31日まで繰り返すことになるのです。
(めちゃめちゃしんどいですが、気分が落ち込まずに済みました・・・)
12月29日(土)--いろいろラッキーな父
父の死に対してラッキーとかアンラッキーとかいうのはなんですが・・・
たぶん・・・・父はラッキーだと思う。
いっぱいの人がお見舞いにきたし、孫や子供たちは全員死に目にあえたし・・・・
病室で毎晩、人がいっぱいいても看護婦さんは何もいわなかったし・・・・
(ちなみに、完全看護なんで付き添いは必要ない病室だったんです)
あまり苦しまずに、死んでいけたし・・・・
そして、29日は家でゆっくりくつろげたし・・・・
(友引の関係でお通夜が30日だった・・・・)
この何年かの中でこの二週間ぐらいが、父と一番顔を合わせたような気がします。
(これも、どうかとおもいますが・・・・とりあえず)
そんな状態でとりあえず、ぼくは父の死をあまり伝えないようにしました。
(たぶん・・・伝えると通夜や葬式にみんなこなくちゃあいけなくなりそうだから・・・)
特に、取引先や焙煎の指導をやった店なんかにも連絡はまったくしませんでした。
(ぼくは、次男で喪主でもなかったですし・・・・)
12月30日(日)--お通夜・・・・
いろいろと連絡がいったらしくて・・・・父の死を知る人が多くなったみたいで・・・
お通夜には、ぼくの知り合いもたくさんきてくれました。
そして、夜遅くからも何人もたずねてきてくれて・・・・
はっきりいって、感謝!感謝!です。
それと、「T」先生・「M」くん店番をやってくれてありがとう・・・・
(だいたい、年末はパートさんが休んじゃうのでぼく一人でやることがおおい・・・)
ぼくとしては、無理してもうちの店での忘年会を30日やろうとしていたんですが、勝手に中止にしてくれました・・・
(ぼくとしては、遠くから帰ってくる人たちのために忘年会をやってあげたいとおもっていた・・・)
そんななか、「M」くんに音楽番組を録画するように頼んでおいたのが録画されていなかったのはちょっとだけショックでした・・・
(こんなことを、残念がるなっちゅうにーーーー)
またまた、夜中にひとり店で焙煎をして、終わったら家に戻り父の前で木魚をたたいて朝まで過ごしました。
父と過ごす最後の夜でした。
12月31日(月)--お葬式・・・・
今日は、いい天気です。
お葬式日和というものがあるとしたら、今日のような天気かも・・・・
お通夜は自宅を使ったんですが、葬式はセレモニーホールというそれ用の会場を使いました。
なんせ、駐車場などなんでもかんでも完備していますから・・・・
(実際、需要があるはずだと思いました・・・・だって楽だもん!)
ただ、なぜお寺にはそんな機能がないんだろう・・・
そんなことをちょっと感じました。
だって、セレモニーホールみたいにセットみたいなもんじゃあないし・・・・
お寺は毎日、和尚さんがお経をあげて柱の一本一本にお経がしみこんでいるような気がするんです。
そんな中のほうが、死んだ人も安心するんじゃあないかなぁとちょっと思いました。
(今度、知り合いのお坊さんにいってみようかなぁ・・・・)
お葬式にもたくさんの人がきてくれてけっこう、うれしかったです。
それと、お通夜のときはきてくれた人に声がかけられなかったですが、 お葬式はちょっとづつ声がかけられました。
(こんなところで、気を使うなっつうに・・・・)
そして、店に戻って一年の最後をひとりかみしめて明け方4時ぐらいに家に戻りました。
とりあえず、1月の4日まではお休みです。
なんか、めちゃめちゃあわただしい年末でした。
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